携帯電話は、短い期間で役割を増やし続けた
ポケベルからPHSへ。PHSから携帯電話へ。
そして携帯電話からスマートフォンへ。通信機器は、比較的短い期間の中で主役を入れ替えてきた。
特に携帯電話の変化は大きかった。通話するための端末だったものにメールが加わり、インターネットが加わり、カメラが加わった。音楽を聴き、テレビを見て、買い物をし、電車に乗る。ひとつの端末に、次々と新しい役割が加わっていった。当時の新機種には、「今までできなかったことが、今度はできる」という分かりやすい変化があった。
やがて、機能はひとつの端末へ集まっていった
そしてスマートフォンが登場する。それまで複数の機器に分かれていた役割が、ひとつの端末へ急速に集まっていった。
電話。
メール。
カメラ。
音楽。
地図。
インターネット。
ゲーム。
財布。
仕事道具。
現在では、それだけではない。
行政手続き、銀行、予約、買い物、動画、SNS、ニュース、学習。
私たちが情報に触れる入口の多くが、スマートフォンの中にある。ここまで来ると、スマートフォンは単なる通信機器とは呼びにくい。生活のための基盤のひとつになっている。
完成度が高くなるほど、大きく変えることは難しくなる
成熟した製品には、少し不思議なところがある。便利になればなるほど、次の大きな変化は起こしにくくなる。なぜなら、その製品を前提に社会の仕組みまで作られていくからだ。
アプリ。
決済。
企業のサービス。
交通。
周辺機器。
仕事の仕組み。
人と人との連絡方法。
現在では、その多くがスマートフォンという形を前提としている。端末だけなら大胆に変えることができても、その周囲にある社会全体まで同時に変えることは簡単ではない。
つまり、
「完成度が高いこと」と「変化しにくくなること」は、
実は表裏一体なのかもしれない。
進化の鈍化は、失敗ではなく成熟の結果でもある
新しいスマートフォンを見て、「昔ほど変わらなくなった」と感じることがある。しかし、それを単純に技術の停滞と考えるのは少し違うと思う。ひとつの道具が十分に便利になり、多くの人が使い、その周囲に社会の仕組みまで形成されれば、進化の仕方そのものが変わる。大きく姿を変える段階から、細かな不便を改善する段階へ。新しい役割を発明する段階から、すでにある役割をより快適にする段階へ。それは「進化しなくなった」のではなく、ひとつの器が成熟した結果とも考えられる。
ただし、成熟には別の側面もある
ここまでは、成熟を技術の側から見てきた。しかし、通信機器が社会の中に長く定着するということは、その上で生まれた文化や問題も同じ場所に蓄積していくということでもある。スマートフォン以前にも、人間関係のトラブルはあった。噂もあった。いじめもあった。誰かと自分を比較することもあった。しかし、現在ではそれらの多くが通信機器を通して可視化され、保存され、拡散されることがある。SNSは人と人をつなぐ便利な仕組みである一方で、他人の生活を絶えず目にする環境でもある。評価される。比較される。数字で反応が示される。
そして情報は一度流れて終わるのではなく、蓄積され続ける。
「情報が滞留する社会」という見方
ここで考えてみたいのが、情報の「滞留」という考え方だ。ポケベルの情報は、その瞬間のためのものだった。短い数字や文字を受け取り、用件が済めば役割も終わる。携帯電話のメールも、基本的には個人と個人のやり取りだった。ところが現在の通信環境では、情報は長く残る。
投稿。
写真。
動画。
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評価。
検索履歴。
過去の発言。
情報は次々と新しく生まれる一方で、古い情報も消えずに残り続ける。通信機器が成熟し、同じプラットフォームを多くの人が長期間利用するようになったことで、私たちは「情報が流れる社会」だけではなく、「情報が溜まり続ける社会」にも暮らしているのかもしれない。
若い世代にとっては、それが最初からある世界になる
この違いは、若い世代を考えるとより分かりやすい。かつては、成長の途中で新しい通信機器が登場した。ポケベルを知り、携帯電話を知り、スマートフォンを知った世代には、「それがなかった時代」と比較することができる。しかし現在の子どもたちにとって、スマートフォンやSNSは、生まれた時から社会に存在している。人間関係とオンラインの関係を完全に分けて考えること自体が難しくなっている。学校での出来事が、その場だけで終わらないこともある。家に帰っても連絡は続く。他人の生活はいつでも見ることができる。自分の反応もまた、他人から見られる。もちろん、これはスマートフォンやSNSだけが原因で生まれる問題ではない。人間関係の問題は、通信機器がなくても存在する。ただ、通信環境がそれらを長時間、広範囲、継続的につなげる装置になっていることは考える必要がある。
便利さが定着した後に、社会は使い方を考え始める
技術の歴史を振り返ると、新しいものが登場した時、まず便利さが広がる。その後で、社会が使い方やルールを考える。これは通信機器に限ったことではない。便利だから普及する。普及して初めて、それまで見えなかった問題も見えてくる。そして問題が見えてから、教育や制度、ルール、使い方が追いついていく。スマートフォンも、いまその段階にいるのかもしれない。
次の進化は、ハードの外側にあるのかもしれない
そう考えると、これからの「進化」は、必ずしも端末の形だけに現れるとは限らない。画面が折りたためる。さらに薄くなる。もっと速くなる。それも進化だろう。しかし、成熟した通信社会に必要なのは、情報との距離をどう取るのか。人間同士をどうつなぐのか。どこまで記録を残すのか。何を見せ、何を見せないのか。そうした「使い方の進化」なのかもしれない。
成熟したのは、スマートフォンなのか。それとも社会なのか
ポケベルは、自らの役割を広げた後、次の通信機器へ主役を渡した。携帯電話もまた、多くの機能を取り込みながらスマートフォンへ姿を変えた。では、スマートフォンの次は何なのだろう。新しい端末なのか。新しい形なのか。それとも、すでに十分に便利になった通信機器を、人間がどう使うかという段階へ移るのか。進化の鈍化は、技術が行き詰まった証拠とは限らない。むしろ、社会の中に深く入り込み、簡単には置き換えられないほど成熟した結果なのかもしれない。そして成熟した道具が社会に長く残れば、その便利さだけでなく、そこから生まれる問題もまた蓄積していく。
次回は、このシリーズの最後として、
「次に変わるのは、端末なのか。それとも人間なのか」を考えてみたい。