日々東北現代|ARTICLE

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気持ちはわかる。でも支持は出来ない。

好きな人や、好きなものができる。

もっと知りたい。もっと近くで見たい。同じものを持ちたい。同じ場所へ行きたい。できることなら、もう一歩近づきたい。ファンなら、そんな欲望を多少なりとも持っているものだと思う。

今なら「推し活」なんて言葉もすっかり普通になった。

SNSを開けば、本人が訪れた店へ行き、同じものを注文し、同じ場所で写真を撮る。本人が使っているものを探し、同じものを買う。

別に悪いことではない。むしろ楽しい。問題は、その先である。どこまで踏み込んでいいのか。

世間の常識と、自分の倫理観。

そして好きだからこそ少し麻痺してしまう感覚。

熱狂的なファンというものは、案外その際どいボーダーラインの上に立っている。この連載のご本人にも、昔から熱狂的なファンが多い。

初期の頃には、不良やツッパリといった当時の若者たちから強烈な支持を集めた。そのパワーは凄まじかった。もっとも、パワーと言えば聞こえはいい。それがご本人の活動やプライベートにまで入り込んでしまった時代もあった。

1978年、山中湖に建てた自宅は、週刊誌で場所が知られたことをきっかけにファンが連日押しかけ、家族で暮らし続けることができなくなった。ご本人は後年、近所へ引っ越し、最終的には落書きだらけになった家を取り壊したと振り返っている。

コンサートでも、ファンの振る舞いは長く課題になってきた。公式サイトにも、かねてより特攻服など周囲に威圧感を与える服装、私設応援団的な活動、コールの強要などについてルールを強化してきたことが記されている。現在も「周囲を威圧する服装」は入場を断る対象になっている。

初めて私がライブへ行ったのは、中学二年のときだった。怖かった。学校にいる怖い先輩なんてレベルではない。本物である。少なくとも中坊の私には、そう見えた。会場の前にはパトカーまでいる。そして何より驚いたのが、紙チケットの裏側だった。

特攻服での入場お断り。

そんな注意書きが、普通に書いてあったと記憶している。ライブへ行くのに、わざわざそれを書かなければならない。中二だった私は、これから何が起きるんだ…。

今では「周囲を威圧する服装」と、ずいぶんスマートな表現になった。もっとも、白いスーツを身にまとったファンがそこら中にいる。初めて来た人からすれば、あれも十分に周囲を圧倒している気はする。だが、それも含めてライブなのである。今ではファンも親切で、マナーも格段によくなった。長い年月をかけ、ご本人が対策を続け、ファンもそれを理解してきた結果なのだと思う。あるいは単純に、みんな大人になっただけなのかもしれない。

ちなみに。

中学二年の私は、白いスーツを着た大人たちを見て震えていた。その数年後。私も白いスーツを着ていた。そして大声でコールしていた。人間、慣れるものである。

そんなファンの世界も少しずつ変わっていったが、それでも、ときどきボーダーラインを越えてしまう人はいる。

私が今でも妙に覚えている出来事がある。2011年頃だったと記憶している。全国ツアーで地方を回れば、数日間その土地に滞在することもある。毎晩、全力のステージ。当然、衣装は汗だくになる。着替えても、また汗だくになる。その衣装が、地元のクリーニング店へ持ち込まれた。そして、その店の店主が大ファンだった。つい先日、自分もライブへ行っている。

憧れ続けてきた人が、ステージで実際に着ていた衣装。それが今、自分の目の前にある。

皆さんなら、どうします?

……。

着たい。うん。気持ちはわかる。ものすごくわかる。で、その店主は着た。

ご本人を意識した髪型で、ステージ衣装を身につけたオッサンの写真がSNSに上がった。

当然、騒ぎになった。店主が誰なのかも分かった。

この出来事については、今回あらためて探してみたものの、私の記憶を裏付けられる当時の信頼できる記事までは見つけられなかった。だから、ここからは私の記憶として書く。なぜ数あるファンの行き過ぎた話の中で、私がこれだけを妙に覚えているのか。

当時、私もクリーニング屋を経営していたからである。

だからニュースを見た瞬間、ファンとしての私と、同業者としての私が同時に出てきた。ファンとしては、「そりゃ、着てみたいよな」と思った。

同業者としては、「いや、それは絶対にダメだろう」と思った。クリーニング屋という商売は、考えてみればなかなかセンシティブである。人様の衣類を預かる。衣替えの時期なら、学生服も持ち込まれる。

セーラー服だってあるんですぜ。

女性ものの衣類もある。

名前をはじめ、個人情報につながるものもある。

そして、お客様からバックヤードは見えない。当時の私は30歳そこそこだったと思う。2011年頃。

今で言う「ホワイト社会」へ向かう空気の変化を、商売をしながら少しずつ感じていた時期でもあった。

何か問題を起こさなければいい、ではない。見えないところで何をしているのか。預けたものがどう扱われているのか。商売する側が「そんなことするわけないでしょう」と言うだけでは、信用にはならない。特に私は男である。

オッサンがバックヤードで何をしているのか。お客様からすれば完全なブラックボックスである。考えれば、怖すぎる。だから私の店では、カウンターでの受付は女性だけにした。

そして唯一の男性である私は、カウンター奥のバックヤードには一切足を踏み入れなかった。私が事務所で見るのは伝票。クリーニングから上がってきた衣類の数。そして、お客様へ返した数。その整合性だけを確認した。

別に、私は誠実な経営者でした、と言いたいわけではない。むしろ理屈より先に、なんとなく嫌だったのだ。人様から預かった衣類。まして女性ものの衣類がある場所へ、自分が無自覚に出入りすることに。うまく言葉にはできなかった。でも、自分の中に線があった。ここから先には入らないようにというセンサーが鳴った。だから、あの店主の気持ちはわかる。ファンとしては、ものすごくわかる。

でも、支持は出来ない。

あの出来事を、今なら定期的に起きる従業員の「バカッター」と同じ話として片づけることもできる。ただ、私には少し違って見えた。ファンとしての欲望だけではない。預かったものを、預かった目的以外に使わない。商売の根っこにある信用の話だったからだ。誰も見ていないからいい。本人には分からないからいい。写真を撮るだけだからいい。好きだから仕方ない。

その一歩を踏み出した瞬間、ファンとしての話ではなくなる。それから十数年。社会は、当時よりさらに「見えない場所で何をしているのか」を気にするようになった。だからこそ、私にはあの出来事があまり古く感じられない。

ちなみに。そんなことばかり気にしていた私のクリーニング屋は、大して儲からなかった。数ヶ月後、閉めた。じゃあ、なんでその商売始めたんやねん。その話は、また何かの機会に。

話を戻す。

私の記憶では、あの一件のあと、ツアー途中でご本人の衣装は急遽変更された。

ネイビーのスーツ。白いワイシャツ。シルバーのネクタイ。そして、同じ柄の長いストール。その姿でステージに登場したご本人は、本当に格好よかった。もともと私は、スーツで歌う姿が一番好きである。だから、よく覚えている。

そして翌年。

私はシルバーのネクタイとロングストールをオーダーした。同じイメージの格好で、ライブへ行った。

……。

中学二年。白いスーツのファンを見て怖がっていた。

数年後。自分も白いスーツを着て、大声でコールしていた。

2011年。人様から預かった衣装を着たファンを見て、

「気持ちはわかる。でも支持は出来ない」と思った。

その翌年。私はネクタイとストールをオーダーしていた。結局、私も十分に熱狂的なファンである。好きだから近づきたい。同じものを持ちたい。同じ格好をしてみたい。少しでも近くで見たい。その欲望そのものは、たぶんあの店主と大して変わらない。

違うとすれば、どこに線を引くか。

世間の目。

常識。

そして、自分の中にある倫理観。

熱狂的なファンというものは、その際どいボーダーラインの上で成立しているのかもしれない。好きだからこそ、越えない線がある。ステージと客席。本人とファン。

預かったものと、自分のもの。あの店主の気持ちは、今でもわかる。でも、支持は出来ない。

私なら、自分で作って着る。結局こちらは、客席から真似しているくらいがちょうどいい。

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